昭和45年12月11日



 幹三郎先生退院御礼のお祭りでのご教話。引き続き、祝賀会の模様

 このたび奉仕着のお供えを頂いておりました奉仕着をつけさして頂いて、神様が、この幹三郎の奉仕着姿というものを、神様が一番にご覧になりたかったであろうと云う事で(?)。そして、暗唱さして頂いた事でありますけれども、今日の例えば、僕の退院はね、僕を除いて他の人たちはもう、夢の様にあるとぞと。僕は何も知らないけれど、もう今日のね退院と云う事は、その様にめでたい事なのだと。
 僕を除いては誰ぁれも、例えば生きて御広前にまたお迎え出来ると言う様な、そりゃまあ万が一に神様のおかげを頂くと云う事はあったけれどね、もう普通人間的な考え、医学的な考えからだったら、もう九十九パーセントがもう駄目だと。もうこの人の病気のその所は、もう只今後の学会というかね、医学の為に、参考に教師がいる為の、手術の様なものであったと云う事であった。
 それがその朝までそうだったと云う事。だから富永先生が仰った様に、お母さんと富永さんに奥さんに言われた「お母さん」と「今度の幹三郎君の病気というのはね、こういうもう百(?)ならば九十九はもう命はもう無いものと思わなきゃなりません。だから、あと残っておるのは、たった一つ奇跡があるだけだ」と「しっかりお願いして下さい、拝んで下さい」と言われたと云う事で御座います。と言う程しの事だったのですから、まあ大変な事だったのですけれどもね。
 そこをおかげを頂きまして本人としては大修行で御座いましたし、皆さんのそれこそ一心の真を捧げての勢信心ご祈念。それがこういう言わば死相になる所が死相の(実)と仰る。一番初めに頂いた時に頂いたが、そういう実をまあ実らす程しのおかげになった訳で御座います。皆さん今日は本当にめでたい、全快の退院のおかげを頂かれてめでたい。今朝からの御理解でも私申しましております様に、確かにねあのぅめでたいのです。
 助からない命が、助かったのですからめでたいし、またおかげ頂くけれども、より以上にめでたい事はね、その事を境に、そこからの信心がです、例えば、幹三郎の心の上に、一心発起させて頂いて、いわゆる、奉仕に身を固めさせて頂く事のおかげ。これからは、金光大神の直弟子にならして頂くと云う事がです、という発心が出来たと云う事が、実はめでたい事だと言う様な事を、今朝から申しておりますように、そういう意味で、めでたいのである。
 勿論ご生還を得た事、おかげを頂いて、無事退院が出来たと云う事も、これは月並でいう、めでたい事、事で御座います。そういう意味合いでは、大変なご修行をして頂いた訳で御座いますけれども、今後ほんとに輝かしいです。幹三郎一人があの時命を頂いたおかげで、それから何十年後に、この様なおかげになったと。それが神様の願いであると、私は思うのですよね。
 だから今後の事が大事な事で御座いますが、どうぞまた今後の事も一段と、輝かしいおかげになってまいります、願いを皆さん、これは親として私が勿論の事ですけれども、そこん所の願いを是から一つ掛けて頂きたいと、ご挨拶を頂いて、お願いを申し上げる次第で御座います。大変おかげを頂きまして有難う御座いました。ただ今親教会に親子三人で御礼に出さして頂きまして、親先生も大変あの喜んで頂いて、今後の事を、ま、期待すると言う様な事を仰って下さったんです。
 御霊様のご挨拶をあちらでさして頂きましたら、もう大きな柿の木に柿がいっぱいなっておりましてね、その柿が全部落ちた所を頂いた。それでたった一つだけ残ってるんです。その一つがね、あのコヨリですね、紙でのあのこうひねってね、紙で作ったコヨリ。コヨリでこう括り付けてある、「はあ、これは落ちてないはずだ」、神様がこれ支えとって下さるからだと。
 ですから、この紙が切れたら、だから幹三郎に申しましたら、あんたに信心の信の字が切れたら、もう何時でもう、この世とさらばだと言って、申しました事ですけどもね。これから何年、何十年、お使い回し頂くか分からんけれども、その事の為の、これから修行が始まる訳で御座います。そういう意味で、大変有り難いと。今日は期せずしてでもない、神ながらな事出御座いましょうけれども、ここへこのお祭、あのうご祈念をさして頂く、皆さんお待たせしてから。
 私はあのう北野の秋山さんの所のお父さんの式年祭で御座いましたから、あちらへ参りまして、まあほんとに有難い式年祭を仕えさして頂いたんですけども、親戚の方が、その、お父さんの兄弟になられる方が、何か用があって来られなかった。その時に、「どうしたこっじゃろうか。一番先に来て貰わなんならんとこで」という思いもしたけども、その次の瞬間にね、この心の中に思わして頂いた事は、今日の御霊はね。
 今日の御霊は、秋山カズエ自分一人、その娘が一人娘が、あたしが一人おれば、御霊様が喜んで下さるんだと思うたら、もう感動してもうどうにも出来なかったと言うております。私は信心のコツは是だと思うですね。朝参りをさして頂くでも、私が一人参る。一人参れば神様が喜んで下さるんだ、と言った様なものです。それが十人になる、二十人になると云う事になって来なきゃならない。
 それから又、ただ今から御霊様へ御礼のご挨拶申し上げますと同時に、一緒に合わせて、竹内先生ん所のお父さんのお立ち日で、ご挨拶さして頂きたいと思うんです。どうぞそういう御霊様の霊祭と霊祭の中に挟まっておる様なものだった事も、そんな事からも、ほんと感じ取らして頂く訳で御座いますね。ほんとに有り難いというか、もうめでたいというかね、もうほんとに有難いおかげ、こういうおかげを頂きました。
 今後ともにひとつ、皆さんのお祈り添えを頂き、幹三郎自身が、もう其処ん所に焦点を置いておかげを頂いたら、これから幹三郎の一生が、もうほんとに輝かいものになると云う事ね。ほんと其処ん所のね。合楽の上に。ただ今から、どうぞ、何か裏に御用があるんですか?まだ。その準備なさる方やらは、どうぞあの、あれあのご準備行って下さってから、今から御霊様にご挨拶申し上げますから、どうぞよろしくお願いします。それか・・・  (終わり)

 祝賀会
 さんの都々逸:♪そめるそなたの心より~辛かろう
 徳蔵さん:「二上がりをいっちょ歌うか」徳蔵さんの都々逸:♪いきで
 ツル代さんの都々逸:♪
 さんの『夕焼けとんび』光昭先生、ギターを手に取り始まる
 皆さんでニアガリチュウ…

 エスカレートし、宴もたけなわに・・・

♪「私のラバさん 酋長の娘 色は黒いが南洋じゃ美人
うえ踊れ踊らぬ者は 誰がお嫁に行くものか
踊れ踊れ踊らぬ者は・・・」

♪キンキンギラギラ~皆のお顔がまっ赤っか

♪門出ゆくのは

♪酒は呑め呑め呑むならば 火のもとをいちのこのやりを
呑みとるほどに呑むならば これぞ真の黒田節

   (テープ途中切れ)